2025.05.20-06.01|内田邦太郎×田中照三 二人展「シュルレアリスムとガラスの器」
作品展について
2025年5月20日(火)〜6月1日(日)10:30-17:00
※月曜定休
作家プロフィール
内田 邦太郎 Uchida Kunitarou
「パート・ド・ベール」とは、フランス語で「ペースト状のガラス」という意味です。フランスのアール・ヌーボー初期の、ロダンと同時代の彫刻家アンリ・クロ(1840〜1907)が着色された蝋を使ってレリーフ作品を作っていましたが、蝋のままだと脆く、欠けたり溶けたりしやすい為、何とか蝋の質感を残しながら丈夫なものが出来ないものかと考えました。そして、様々な色ガラスを砕いて粉状にした物をのりで練って耐火性の型に詰めて焼き、溶かして固めた後に型を壊して中のガラスを取り出すことを思い付きました。その為にその技法のことは「パート・ド・ベール」と名付けられました。しかし、糊の為焼けた後不純物の影響で無数の泡が発生し砂糖菓子のようになり、求めていた蝋の質感が得られませんでした。アンリ・クロの弟子たちの世代〈アマルリック・ワルター(1869〜1959)、アルジ・ルソー(1885〜1953)、フランソワ・デコルシモン(1880〜1971)〉に成って、漸く蝋の質感をもった作品が出来るように成りました。第二次世界大戦を境にしてこの技法は跡絶え、戦後暫くは、ガラス工芸の中でも最も難しい幻の技法と言われて来ました。この技法は形も蝋で原型を作る為に手で納得がいくまで自由に表現が出来、色も粉末状の為に混色や濃淡が思いのままに調整出来るのが、大きな特徴と成っています。
1942年 京都に陶芸家内田邦夫の長男として生まれる。
1967年 東京芸大工芸科鋳金専攻卒業。大阪市立工業試験所ガラス研究室入所。色ガラスの調合研究。
1968年 大阪三友ガラス工芸入社。職人として5年間吹きガラス技術を学ぶ。この間にプッシュブロー法を考案。
1976年 日本では幻の技法と言われ途絶えていた「パート・ド・ベール」を初めて再現し現在まで40年間続ける。
1978年 横浜の東京クラフトデザイン研究所にガラス科を 創設。東京三晃硝子工業のデザイン、技術顧問、内田クラフト量産製品を発表。
1987年 ニューヨークヘラギャラリーにて招待出品作をスイス・ローザンヌ美術館が買上展示。
1992年 「幻想の色と形 内田邦太郎パート・ド・ベール作品集」青弓社より出版される。
田中 照三 Tanaka Teruzou
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